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安江静二心の記念館 開館まで

 安江静二心の記念館を始めるきっかけなど、思い出したり、スケッチやメモをたよりに、ありのままを書いてみようと思います。 阿部武東

 

1995年 安江先生は、瀬戸の里へ入所しましたが、まだ動ける頃

弟子の加納房雄さん(後、吉村房雄と改姓)は、自分のワゴン車に、安江先生が車椅子ごと乗れるように改造して、あちこちへ先生を連れ出していました。秋の紅葉の頃や、若葉の頃、展覧会巡りと、先生も大喜びのようでした。

あちこち回った後には、必ず我が家寄ってくれ、楽しい一時をすごしました。中学生の子供も先生がくると、大喜びで手伝ってくれました。

弟子の方々もたくさん集まった「ごへいもちの会」や、先生の好きだったクラシックの会、カレーの会などが思い出されます。

1998 春の庭でお茶を 

左から 阿部治美 安江先生 武内祥子 加納房雄 敬称略

1998 初夏 阿部の家にて、左から阿部譲、阿部治美 安江先生 阿部武東

1996  阿部の家で開催されていた、安江先生の画集編集委会

左から 加納房雄、吉村國昭、曽我定子、熊谷賀世子、武内祥子 撮影/阿部武東 敬称略  (このメンバーを主に。葬儀や、偲ぶ会等を開催した。)


1999.9月瀬戸の里で、天に召され、瀬戸の里での葬儀 本町開館「偲ぶ会」

1999年9月瀬戸の里で葬儀

 1999年9月20日に安江先生が、瀬戸の里で亡くなられました。その日、ボクはたまたま、ヒガシギャラリーの國ちゃんと見舞に行っていました。本当に偶然、先生の最期を看取ることになりました。先生は、最期まで青年の感性をそのままに、あの世に旅立っていきました。崇高な最期でした。

 すぐに弟子で、先生をいつも外に連れ出したりし、最もたよりにしていた弟子の・加納房雄さん(その後結婚を機に吉村姓となる)に連絡しました。びっくりして言葉が出ない風でしたが、すぐにきてくれました。

ベットの脇に呆然と立ち尽くす僕たちを、ちらっと見ましたが、先生の手を取って泣き崩れました。

 

その後、先生の葬儀をどうするかという話になりました。先生の親戚、年取ったご姉弟の方や、甥の方もおられました。瀬戸の里が、広間で葬儀を行ってもも良いとのこと。加納さんと親戚を主に、瀬戸の里の広間で葬儀を出すことのなりました。葬儀は先生の弟子の「あざみ会」の方々、親戚の方々、美術関係、ガシギャラリー関係、取り巻きなどをスタッフに、盛大に行われました。瀬戸の里で葬儀を出すことは、初めてのことだそうです。

1999年10月24日 本町開館・偲ぶ会開催

 翌月の、1999年10月24日、先生のアトリエそばの、中津川市内の本町開館で「安江先生を偲ぶ会」を開催しました。大勢の人達が来てくれました。安江先生の好きな歌をみんなで合唱しました。

 

1999.10月 安江静二先生を偲ぶ会 司会は朝日美智子さん(康江静二画集に、安江先生の生涯《鈍才牛歩》を書いてくれました。)

 

安江静二先生を偲ぶ会で、先生の好きな歌合唱

偲ぶ会で配られた「追悼記」

安江静二先生 偲ぶ会寄せられた、言葉、思い出などを一冊にまとめ「追悼記」として会場で配られました。作ったのは、先生の画集を編集担当してくれた、武内祥子さん(現 深谷祥子さん)です。

      1999.10月 安江静二先生 追悼記には、

  78名の方々の文が掲載されています。


安江先生の没後、2年が過ぎ、アトリエ公開がはじまる。

ボクと加納さんは、度々アトリエの草苅や雨漏りの点検などで、アトリエを訪れていました。アトリエのたくさんの作品、素材や、哲学書などが、主の帰るのをまっていました。このままだとどんど風化してしまうと考え、月に一度だけのアトリエ公開に踏み切りました。毎月、第三日曜日だけの公開です。留守番は、加納さんと、ボクの二名です。入場は無料です。


2001 アトリエ内部 先生の座っていた場所

2001 遺された素材など

茶色に染まった、膨大な哲学書

2001 埴輪、壺など

2001 街道からアトリエへの道

2001 アトリエ玄関

2001 アトリエを南から


(2021-3月 安江先生・アトリエ跡地 アトリエは取り壊され何も残っていない。)

2001年10月安江先生のアトリエ公開はじまる

先生が亡くなって2年後、アトリエの公開がはじまりました。

宣伝はしなかったので、来られる人は極わずかでしたが、ぽつぽつっと

話を聞いたと、訪れる方が見えました。

来られると、狭さと、乱雑に驚かれました。まっ茶色に染まった哲学書

小さな、小さな台所、小さなアトリエ。山になった絵の素材,

来られた人の中には、「先生はここで描いていたんですね!」

と、涙ぐまれた方もいました。

 

遠くから来られた画家の方は、先生の席に座って、

目を閉じ、数時間座ったままでした。

瞑想していたようでした。

 

寒い日などに、加納さんと話したのですが「このアトリエは、なぜか暖かいね。」

不思議とこのアトリエは、寒い日でも、暖かかったのです。

安江先生の暖かい心が、この空間を温めていたようでした

 

たまに来られる来館者を待ってる間、加納さんと二人で、スケッチやデッサンをしていました。

 

以下は 当時、アトリエで描かれた、阿部のスケッチブック 2001〜

このスケッチの文は、2004年に書かれたものです。アトリエ公開か8ヶ月後、加納さんはばったりと姿を見せなくなりました。2003年、2004年、2005年と、一人で黙々と、月1回のアトリエ公開を続けました。

2007年アトリエを売却することに

2006年、アトリエ公開は、来られる人もいなくなり、連絡がないときはアトリエは閉めていました。ある日、アトリエの持ち主・甥の安江さんから連絡があり、アトリエを売ることになったので、アトリエの作品や、素材、本などをどうするか、相談を受けました。

たまたま安江先生のお墓の傍の高台に、小さな、先生のアトリエを連想させるような一軒家があり、持ち主に話をして貸してもらうことになりました。

アトリエからの荷物は膨大なものでした。作品や素材以外の、ベットや布団、着物などは甥の安江さん夫婦が来て、てきぱきと片付けてくれました。本や素材は少しずつ運びましたが、借りた家の、一部屋と物置は一杯になり、作品も300点くらいはあっと思います。弟子の作品や、先生の友人の作品もありました。作品や、本、素材などを、家内、息子をかり出して、少しずつ整理して運びました。こんな時に、加納さんがいてくれたら…と、何度も思いました。たまたま、武内祥子さんが、軽トラで来て、思い荷物を穂込んでくれ,本当にたすかりました。

2007年秋 高台の借り家で先生の作品、遺品を預かりました。

先生の作品や遺品を預かるため、借りた小さな家です。

借り家の玄関

何となく、先生のアトリエに似た感じの家です

高台に達つ借り家外観 道路の左側には、先生のお墓


借家からの眺望  手前が地蔵堂墓地、墓地の左辺りが安江家の墓で、安江先生も眠っています。

左に笠置山、正面に苗木城、右には二ツ森山等が一望できます。

作品と遺品を預かった後で、色々と言われ続けました。

先生の作品などを預かることは、想像以上に負担となりました。家内は、早く作品を返して楽になりたいと、何度も言っていました。盗まれたら…。火事になったら…と」。考える度に、気が滅入りました。また、裏で作品を売ってるんじゃないか!とか、作品を独占しているとか…!

もうイヤだな!と考えていた頃、弟子の加納さんが、新しい嫁さんと帰ってきました。

加納さんには色々と愚痴を聞いてもらいました。その都度、ボクの味方になってくれ、大いに力をもらうことが出来ました。 

 

安江先生のアトリエを買ったのは、隣に住んでいた坂田さんという人でした。アトリエを取り壊すにあたって、中に残っていた手紙類、写真、作者不明の彫像、巻物などを、何回も持って来てくれました。坂田さんには、記念館にも来て頂きました。展示された作品も観て頂きましたが、びっくりしていました。それと、ボクが記念館を作ったことにも驚き、励ましてもくれました。後年、中津川公民館で開かれた展覧会には真っ先に来てくれました。感謝です。

2010 2月 記念館開館前で開かれた「歌う会」帰ってきたばかりの加納さん(後ろ右から2二人目)

後列左から 大久保、梅村、加納、阿部 前列左から 阿部、日下部、市川、片野、吉村(加納さんの奥様) 敬称略

2013年11月 記念館の開館準備

翌年の春の開館にむけ、準備がはじまりました。窓はなくして、作品を展示しょうと思っていました。そこでカーテン等は取り払い、新しく厚い無地のカーテン用裏地をカーテンとして使用し、作品のバックとしました。照明は、電源コードを新しく張るのは止め、今ある照明の器具にプラスし、中央から四方に、LED照明が届くように配置しました。

 

展示室の配置メモ

当時書いたのイメージ図 ライトは中央から四隅に

当時のメモ

作品と遺品を運び入れました

2013.12 開館前の準備

2014.3月 展示はほぼ出来ました

(写真をクリックすると大きくなります)

2014年4月「安江静二心の記念館」開館

2014年4月6日 開館まで、いろんなことがありましたが、多くの方々のおかげで、無事開館にこぎ着けました。感謝です。

記念館オープンセレモニーには、梅村神官、安江先生の甥ご夫婦、塾講師の深谷さん、画集を編集してくれた武内祥子さん、はじめ、弟子だった加納さん(現吉村)ご夫婦、上田さん、広瀬さんも参加してくれ、盛大に開かれました。宴では、最後に、先生の好きだった歌をみんなで合唱しました。(写真をクリックすると大きくなります)

心の記念館開館以降、多くの方に来て頂きました。御礼申し上げます。

2014-4月 開館時 心の記念館パンフレットで

 安江静二心の記念館は、ほとんど宣伝はしませんでした。しかし、噂を聞いたり、橋を聞いた人達が来てくれ、多くの方々がここで安江先生の作品、安江先生の言葉と出合いました。そして、作品の持つ重厚な思い、心から絞り出したような深い言葉に圧倒されていました。こんな時は、記念館を作って良かったとつくづく思いました。

以来、心の記念館は、2014、2015、2016、2017、2018、2019、2020と開館して来ましたが、2020年春に新型コロナが発生し、開館休業の状態が続きました。コロナは2021年になっても納まらず、ついに、2021年、先生の命日9月20日を持って閉館することになりました。今までの、皆様のご愛顧、ご協力に厚く感謝申し上げます。

2021年秋 9月20日 ついに閉館となりました。

作品は、いつの日か展示される日のために、一まとめにして、保管することになりました

私事です。まだボクは、70代の若さなのですが、2018秋に、「安江先生 没後20周年記念 安江静二展」を開催しました。展連会の終わった次の日に、脳梗塞で10日ほど入院しました。退院後は普通の生活をしていました。

しかし、2020年9月はじめ、2回目の脳梗塞となり、市民病院で入院治療しましたが、半身のしびれが取れませんでした。リハビリのため城山病院へ転院し、10日間ほど入院の後、今は通いでリハビリを続けています。そんなことで、運転も出来ませんが、まだ動けますので、動けるうちに記念館の片付けをしておこうと考えました。

遺品を受け継いだ、甥の安江さんと相談して、作品を一まとめにして残して置こうということになりました。今後、どのような世界になるのかわかりません。いつの日か、魂の籠もったこれらの作品が、自身で歩いて行くのを楽しみにしています。

 

このHPは、何とか文字が打てますので、ユックリと作っています。

ご意見などがありましたら、「お問合せ」ページからメールで連絡お願いします。  阿部 武東