中津川で生まれ、描き、模索し、自己の存在意義を探し続けた


どうぞ気楽にお入りください。そして安江静二先生とお話下さい。


 この記念館は空いていた民家をお借りして開館しました。岐阜県中津川市街を見下ろす高台で、すぐ近くの墓地には安江静二先生の眠るお墓もあります。

 この家を見たとき、安江先生の記念館はここしかないと確信に近いものを感じました。

 先生のアトリエと同じような小さな平屋で、玄関脇にはシュロの木が立ち、謙虚な先生のような質素なたたずまいに心引かれるものがありました。

 


自身の身体が動ける間は絵筆を握り続け、描くことで、自身の存在理由と生きる目的を探し続けた。

 一点の作品を二十年.三十年と描き続けた安江先生にとって、作品を描くことは自分自身を探すための手段でした。

 記念館には四十年間描き続け、塗り重ねてきた作品が残っています。

遺された膨大な哲学書と作品群。


 十三才で、当時病名がわからなかった難病の小児マヒになってしまい、歩くこともままならない身体になってしまいます。世間体の手前、家から離れた畑の中の小屋で一人暮らすようになります。

 

何故こんな半身不随の身体になっても生きなければならないのか?

こんな身体で何をして生きたらいいのか?

何を求めて生きたらいいのだろうか。

 

震えが止まらない手で、何が出来るのか。

 

生涯を通して自身を探す旅が始まりました。

遺された膨大な哲学書は、真実を探す旅の一部なのでしょうか。

 



安江静二先生年譜

昭和27年頃、馬車の轍を踏んでスケッチへ

平成7年(1995)9月 最後の個展会場にて。握手しているのは常田順子さん、後ろは高木佐代子さん

 

・1913 (大正2年)中津川町本町 理髪店次男として生まれる

・1926 (昭和1年)13才 突然原因不明の病魔に襲われ、家から離れた小屋で隔離された生活を強いられる。(小児マヒ)

・1929 (昭和4年)16才 震える身体を押さえて絵を描く方法を見つける以降独学で絵筆を握る生涯を送ることになる

・1935(昭和10年)22才 この頃中川ともと出合い、制作意欲を高め合う生涯の友となる

・1940(昭和15)27歳 東京在住の画家・森田茂が中津川に来訪し、弟子入りと東京進出を薦められるが、地元で画業に専念する意を示す(森田茂画伯は、戦後文化勲章を受けられています)

1944(昭和19)31歳  水垣牧師が静二宅にて「月曜会」を開催。画友中川とも、松原鐵之らとともに芸術と宗教について語りあう

・1952(昭和27年)39才 結核で恵那療養所に4年間入院する

・1956(昭和31年)43才 赤貧の生活だったが、生活保護の申し出を断る。地元商店の若者たち(青山史郎氏、伊藤永治氏、田中三郎氏ら)が集まり、奉仕と熱意によって自宅をアトリエとして改築

・1961(昭和36年)48才 子どもから大人までの絵画指導を始める

この頃アトリエには若き画家志望者が多く集まる

・1962(昭和37年)49才 安江絵画の原点である「見捨てられ物」

シリーズが生み出される 「根っこ」「石の華」「見捨てられた傘」

・1964(昭和39年)51才 安江静二の教え子達により「あざみ会」が結成される

・1995 (平成7年)82才 16年ぶりの個展をヒガシギャラリーで開催。午前中で完売

画集作成のための委員会が設けられ、撮影・編集作業に取りかかる。

編集委員は、加納房雄、曽我貞子、武内祥子、吉村國昭、熊谷賀世子、阿部武東 各氏   (特養…瀬戸の里にて静養)

・1997 (平成9年)84才 2月11日「安江静二画集」完成パーティ開催    特養…瀬戸の里にて静養)

・1999(平成11年)86才 9月20日 永遠の世界へ旅立つ 青年の感性のままだった

 

2014(平成26年)亡くなって15年目の春、多くの支援者、協賛者、弟子の方々の熱意で「安江静二心の記念館」開館

 

2017(平成29年〉3月 中学生の頃から安江先生に師事した、画家・滝川英明さんが旅立った

 

2017(平成29年)10月4日朝、昭和三十年代から安江先生の弟子・吉村房雄さん(旧姓・加納)が旅立つ

 

2018(平成30年)9月19日〜23日 中津川市中央公民館にて

没後19年「安江静二展」開催 1000人の方々が中津公民館へ来館され作品と思い・声に触れた

 

2018(平成30年)9月 母校・中津川南小学校へ作品を寄贈。

「故郷の山」前山を書いた作品、回顧展でも涙する人がいた

 

この年譜は、安江静二画集の年譜(武内祥子氏調べ)を元にしています。